前回の記事で
中学受験のため、小学6年生の時に個人の塾へ変わったことを書きました。
その塾は僕以外の生徒は3人でした。
入塾初日、3人は部屋にて黙々と勉強をしていました…
と書きたいところですが、その光景は違いました。
全員立って勉強していたのです。
2021年の世の中であれば数ある自己啓発本に取り上げられているような立って勉強すれば記憶力が上がるだのそういう科学的な実証はされているとは思いますが、これは20年以上も前の話。
先生に立たされて勉強していたのです。
算数の問題を解いては、(難易度マックスの中学受験で出題された問題プリント)ついたてで仕切られた先生のいる部屋にノートを持っていき、床にノートが投げられる音で採点が終わったことに気づかされ、ついたての向こうに投げ捨てられたノートを取りに行くという作業を全問正解するまで繰り返す。
全員が解いてみて全員が解けない問題が出ると何時間か経った後、解説タイムが始まり、先生が黒板の前に立つ。
そこで解説中に生徒に順番に質問する時間があるのですが、それに解答できない場合立たされる。
次の生徒も解答できなければ立たされる。
立っている生徒が解答できれば座ることができるという具合です。
解説が終わる時点で立っている場合はその日は立ったまま勉強するという流れになるわけです。
こんなあからさまな実力社会を経験したのは今までの人生で最初で最後でした。
頭が良ければ立たなくて良い。
シンプルなゲームでした。
また、自分が答えればなくて次の解答者が答えられたら悔しい。だから、次は答えれるようにしよう!!
もちろん、入塾した時点では、最下位の成績でしたから、必死でした。
他の受験生が答えられなくて僕が答えられることなんてなかったです。
社会人10年目に差し掛かるこの歳になるとこんな状況逃げ出したくなうのでしょうが当時は必死というよりか志望校に入りたい一心だったのでなりふり構ってられなかったです。
当然立って勉強している回数も他の3人に比べてはるかに多かったですし、問題解説で解答できる数も圧倒的に少なかったですが、他の受験生が優しく、手を差し伸べてくれたことで1年を乗り切ることができました。
今思えば、あの3人はなぜ急に小学校6年生になって入ってきたダントツで成績の低い僕なんかを助けてくれたのか。
すごいできた人間だったんでしょう。
また、ここまで書いていて先生が気違いや、と思うのでしょうが、この先生良いところもあって(今思えばなんですが)
全生徒に対して平等だったのです。
成績が良かろうが、僕みたいに悪かろうが、平等に接してくれたのです。
1番成績の良い生徒が居眠りをしていたらタウンページみたいな本で頭を殴るし、2番目に成績の良い生徒の名前にはカス〇〇と言った呼び方をしました。
えこひいきしなかったのです。
これも今思えば、一種の策略なんでしょう。
少なくても、最下位の僕はこの対応でみんな平等に(怒られて)見てくれてるんだと思い、不思議なことに一度も自分のことを卑下することはありませんでした。
どんな組織でも一部の人間を上に見て一部の人間を下にみる管理者なり、スポーツでいったら監督がいます。
これでは個人戦では結果が出るかもしれませんが、団体競技では結果は出ません。
総合力が問われる団体戦では、いわゆる下にいる層がいかに平均点を引き上げるかで結果が大きく変わるからです。
実は、最終的にこの塾では僕を含め、4人共、志望校に合格するのですが、これが、この塾での団体戦の勝ち方なのだと思いました。
ちなみに、一番うまみを受けたのは、1年前箸にも棒にも掛かっていなかった僕なのですが。。
この塾のやり方は現在にはそぐわないものはありますが、幼いなりに色々なことを学ばせてもらえたと今となっては感じています。