中学受験③~判断、挫折、成功~

小学6年生のはじめに塾を変更してから約1年後の1月とうとう受験の時期になります。

 

志望中学はN中学。

 

この頃、前期、後期試験という日程が組まれる中学や受験の点数によって特進クラス合格、普通クラス合格と合格しても入れるクラスが異なる中学と様々な受験体系がありました。

 

私の志望中学は、前期試験、後期試験と日程が二つあり、前期落ちてもまだ1か月後に後期受験のチャンスがあるという中学でした。

 

ただ、大学受験と似ており、前期で受かる確率と後期で受かる確率では雲泥の差がありました。

 

というのも、中学受験の日程は、私の住む関西の地域であれば、レベルが均衡する中学のすべての日程に受験可能であり、多い人では8つほどの中学を受験することも可能といったくらいに併願受験が当たり前でした。

 

その中で、私の志望中学の前期日程は、どこの中学よりも早い1月10日。

 

当然、他の中学を受験するため併願する受験生も多数いるため、合格率は相当高いものでした。(他の中学に合格すると受験生がその中学に流れるため、募集人員より多めに合格者を出すため)

 

その前期日程の試験で受かってしまえば、同然志望中学ということもあり、受験は終了。

 

その後控える同等レベルの中学NY(1月12日受験予定)やT中学、S中学、M中学を受験する必要はありません。

 

まあここまで書いたら察しが付くとは思いますが、N中学の前期日程の結果は不合格。

 

絶望でした。

 

おそらく、後期日程はその1か月後、前期日程で合格した人員が他の中学に流れなければ合格者が限りなく0人の可能性も。

 

この合格発表は、NY中学の受験の後だったため、NY中学も受験することになるのですが、ここも不合格。

 

この時、屋根裏に登り自殺しようと考えました。

 

たったこれほどのことと思うかもしれませんが、一日7時間も立ちながら勉強して本で殴られても勉強して、小学6年生なのに夜の2時まで勉強してもこれかと…

 

なぜ、N中学とNY中学の試験日を今となっても覚えているかというとこの自殺しようとしていたくらい追い込まれていたためです。

 

親に説得されたのは覚えていますが、どのように説得されたか、その後、どんなメンタルで他の中学を受験したかは覚えていません。

 

T中学とS中学は超難関中学ということもあり、あっけなく不合格。

 

M中学は特進クラスと普通クラスとあった中学なのですが、普通クラスに補欠合格。

 

ちなみにM中学以外の中学校はM中学の特進クラスに合格できないと合格しないレベル。

 

残されるのはN中学の後期日程。

 

到底合格できるレベルではないことを受験を通して痛感していました。

 

ちなみにこの時、同じ塾に通っていた3人はというと…

 

1人はT中学、1人はS中学、一人は同等レベルの他県の中学に合格済み。

 

N中学の前期日程にはみな合格。

 

ただ、この時僕は自然に他の人がどこ受かってようが卑下することなく自然と喜んでいました。

 

あのしんどい授業をみんなで耐え、低レベルの僕を快く迎え入れてくれた感謝があったからかもしれません。

 

話を戻し後期日程です。

 

確か2月にの中旬~下旬だったはずです。

 

満身創痍の中、1人塾に行き勉強しようと思ったときでした。

 

すでに受験を終え、勉強なんてしなくていい3人が黙々と勉強していたのです。

 

教えるとかではありません。

 

ただ、黙って問題を解いてという具合に…

 

また、ついたての向こうにいる先生。散々ノートは投げられ、馬鹿呼ばわりされ、毎日今となって考えると平均3時間くらい立たされて勉強させられた先生が、

 

おそらく関係者だったんでしょうが、

 

僕の名前を告げ、N中学の先生に前期の試験結果を聞き、後期の合格見込みをこっそり聞いてくれてたのです。

 

今のご時世こんなことは許されない(当時もかもしれませんが)のですが…

 

そして、個別に呼ばれ、自販機に連れて行かれ、初めてジュースをおごってくれその自販機の前で、

 

「多分合格できる、自信を持て」

 

と一言だけ告げてくれました。

 

文章にしている今だからこそ泣けてきそうになるのですが、同時は必死だったので分かりました、と答え、後期日程の受験を迎えました。

 

そこから先の記憶はあいまいなため、この3人および先生にどのように感謝の気持ちを述べたかは覚えていないのですが、結果は合格しました。

 

中学受験というすごく小さな世界だったのですが、人生において辞めることの判断(予備校を変更したこと)、挫折、成功を1年で体験することができた素晴らしい1年だったと今となっては思います。

 

もちろん、当時に戻りたいとは死んでも思いませんが…