生まれ育った県についてもっと知っていこうということで次は
「明日香村」
実はこの明日香村がコアな奈良を知る場所としては良い。
僕も小学校6年生の遠足で訪れました。
そのころはこの周辺一帯を歩いて周り、最後は石舞台古墳で集合写真といった王道コース。
この頃は、中学受験をしていたこともあり、日本史はある程度知っていたのですが、学ぶ目的はなく友達と楽しく周っていただけで…
今回は、運動目的(とはいうものの外は35度の暑さ…)ということで甘樫丘駐車場に車を停めて歩いて周ることに、、
ここは、甘樫丘駐車場から見た森林。
ただ、小学生の頃の体力は当然ないとのことで、飛鳥寺→橘寺→川原寺
というコースで。。
飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派の寺院。山号は鳥形山(とりがたやま)[注釈 1]。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来。現在は正式には安居院という。開基(創立者)は蘇我馬子で、蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。思惟殿は新西国三十三箇所第9番札所で本尊は聖観音である。
曽我氏の寺。
ちなみに、飛鳥寺の周辺周っている時、気温高すぎて携帯が使えず写真撮れず…
なので、屋内で撮影した飛鳥大仏(撮影可)だけ。
ちなみに、大化の改新で中大兄皇子らに飛鳥板蓋宮にて暗殺された時に首が飛んでそこまでいったという逸話の時に首塚。
続きまして、橘寺。
橘寺のウィキペディアはこんな感じ。
橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院。山号は仏頭山。本尊は聖徳太子。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。観音堂は新西国三十三箇所第10番札所で本尊は如意輪観音である。
聖徳太子の寺。
ここは、二面石(二面石 - 境内にある高さ約1mほどの飛鳥時代の石造物で、左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているという。)とか、天井に美しい花の絵が敷き詰められた部屋があったり見どころたくさん。
仏様も厳か。ただ撮影禁止のため、写真は撮れなかったので、肌でしっかり感じました。
そのあとは、川原寺。ここは橘寺から見下ろす形で建つ寺。
この角度で奥にあるのが川原寺。(撮影は橘寺入口から)
ここから入口へ。
こんな感じ。
ちなみにこの寺は、
中大兄皇子が建てたとされています。
写経が有名な寺です。
ちなみにこの石は中大兄皇子が石山寺から運んだと言われています。
引きの画がこんな感じ。
この橘寺と川原寺は当時の権力の位置関係を表す立地で橘寺が川原寺を見下ろす位置にあったとか…
その後、天皇家は奈良の興福寺を建立、一方、飛鳥寺(橘寺と同勢力)の継承する形で元興寺を建立。
位置関係は興福寺が元興寺を見下ろす形に。つまり勢力が逆転したことを表す位置関係に。
と、かなりにわか情報で間違っていることがありそうなのでこれくらいに。。
まだまだ勉強が甘いですが、このような見方で観光するとただお参りするという意外の魅力を感じることができるな~~と感じました。
そして、また奈良の歴史の深さを感じることができました。
まだまだ奈良は奥深いです。